JAL123便事故 関連資料・13

「天空の星たちへ」 青山 透子 著(マガジンランド)
第三部 乱気流の航空業界 未来はどこへ 229
第三章 上野村へ 349
*御巣鷹の尾根が語りかけること

/先輩の墓標


<398> 
 沢づたいに登って行くと、突然、空か開けて平坦な小さい広場のようなところに出た。ここが臨時ヘリポートを作った場所だ。筏のように木を組み、ヘリの回転翼がぶつからないように木を切り出し、自衛隊員の徹夜作業によって十四日早朝に完成したのである。

 振り返ると、真っ赤に染まったドウダンツツジに囲まれた昇魂の碑があった。事故後は丸坊主となってしまった山肌に上野村の人々が少しずつ植林をしたとのことで、今ここにある木々は二十四年かけて大きく成長したことになる。
 『昇魂の碑 黒澤丈夫』と、昨日お会いした元村長による凛とした字で書かれており、この場所は一、五三九メートルの地点となる。
 ぐるりと見渡すと、ぽっこりした山の頭が重なり合って下の方に見え、雲のない青空が手に取るように降りてきている。ここが山頂というわけではないが、見晴らしのよい広々とした場所である。さらに続く長野県側の山が高くそびえ立つ。群馬の山より長野の山のほうが高いのだ。

 あの時、夜通し長野側から歩いてきた消防団の人の中に、自分の従兄がいたという管理人さんは、彼からこう聞いたという。
 「せっかくすぐそこまで歩いてきたけどねえ、こっからはもう群馬側の山だから、お疲れさん、帰っていいと、戻されたんだって。なんだかねえ、もう少しでこっちまで来られるのにねえ、って」
 なんと、せっかく墜落現場の目の前まで来て、炎も見えていただろうに帰れとは。
 管轄が異なるとはいえ、きっと残念だっただろう。

 消防団員だった黒澤氏も、機動隊の車で山の入り□まで連れて来てもらって、後は自分たちだけで、手探り状態で山道を歩いたそうである。昨日の話の続きをしてくれた。
 「結局ねえ、誰が指揮してるか分かんないから。テレビ局の人の機械を手伝って持ってやったりしてね。ただねえ、おれたちが来た時は、もう山を下りてきた人がいたんだよ」

え? すでに山に登って下りてきた入?「野次馬ですか? 服装は?」と聞くと、
 「消防団にも入っていない人だねえ、一般の人かねえ。足の支度は山を歩ける程度だよね。普通の山に行く格好だね。四十歳過ぎぐらいかなあ。誰か分かんない、上野村の人かどうかも分かんない。事故当日は規制もなかったからね、誰でも入れたんだよ」

 この惨事の場面に出くわした単なる一般人の登山者だったのか。何を見て、何を聞いたというのか。地面には財布もお金もたくさん転がっていたというが、まさか火事場泥棒でもあるまい。この惨事にもかかわらず、一言も声を出さずに下りて行ったという。

 黒澤さんたち消防団員は、北の沢側から登って来たために、偶然斜面を滑落した飛行機の最後尾に乗っていた生存者を発見して、この足場の悪いところをにわか作りの担架で連んだのだ。

 「最初はねえ、生存者はいないだろうってことで来たからね、今思えば、担架を持ってきて、ヘリで空から落としたってよかったのにねえ、そういうことが全然出来ていなかった。だから吉崎さんの奥さんも、けっこう周りにいた人たちと話をしたって言ってたもんね。もっと救助が早ければ……今二十四年経ってみて、落ち度があったっていえばそういう点が欠けていたよね」

 そして、やっとの思いで担架に乗せた四名を運び出して、このヘリポート跡地に置いたのだ。

 「それがねえ、まだ対応がのろいんだよ。せっかく、生きていたって必死に運んだのにね。ヘリが来て、連れて行くまでが長かった。まだ来ないんか、って対応が遅かったよね。
 おれなんか、見つけて責任持って運んで来たんだけど、いつになってもヘリが来ない、これじゃあ、死んじゃうベーって、イライラしていた。気が気じゃなかったよね。
 結局、朝九時過ぎに見つけてねえ、運ばれたのがさあ、お昼すぎになっちゃった」

 これがあの最も印象に残る、自衛隊員がロープで引き揚げていった場面につながる。

 「担架で運んだのは地元民の消防団だけでね。自衛隊は生存者のところには来てなかったもん。だからよく、ニュースで、自衛隊の人がアップで映るよね、あれってその時全然分かんなくて、あとからテレビ見て、へえって思ったよ」

 現場ではこのような状況だったのだ。ただその時の混乱で、誰が誰やら分からないかもしれないが、少なくとも地元消防団員が上野村というハッピを着て、必死に生存者を担ぎ出した写真に写っているのは、彼らであった。



JAL123便墜落事故ニュース映像 投稿者 nekotomo30

 さて御巣鷹の尾根では、大國氏が杖を使って当時の遺体状況と飛行機の墜落した位置関係を教えてくれた。
 事故機の右翼が、標高一、五三〇メートルの稜線に一本そびえていた、樹齢およそ二百二年の通称『一本唐松』の大木を、地上から約十三メートル五十センチの部分で切断した。

 その後、第四エンジンを接触させて樹木をなぎ倒して地表をえぐっている。
 さらに、標高一、六一〇メートルの尾根にある樹木や地表をU字状態にえぐって、なぎ倒した。U字溝と呼ばれる現場は、今立っている昇魂の碑がある場所よりも、南東に約五百七十メートルも向こう側の山となる。
 「U字溝ってあんなに山の向こうなのですか? 私はすっかり勘違いしていました」
 と、私は大國氏に言った。
 そこだけえぐれていたために、二十年経っても木々が少しへこんでいる。その場所に植林をしたそうだが、新しい木の伸びる速度が速くて、間もなくU字溝跡は見えなくなるとのことだった。

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 そして昇魂の碑のある場所から少し上にある場所が最後に激突大破した所だ。
 大きな岩肌にXと書いてあるが、ここを基準としている。このあたりの遺体が、一番損傷が激しく、火災で炭化した遺体が多かった。(図2参照)多分機体が縦に突き刺さったような状態となり、でんぐりがえって向こう側に落ちたために、遺体も散らばって飛び出した状況だったと語る。周囲の木はこげても、芯まで焼けていないが、この辺りの遺体は骨の芯まで炭化していたという。

 「それからこの辺りは、歯の骨まで真っ黒で、炭化状態になってしまった。通常の火災現場の遺体と異なって、なんか二度焼かれたぐらいひどい状態だったよ。ちょっとさわると、ポロポロと崩れそうだった。ジェット燃料のケロシンって、そんなに燃えるのかね」

 そのように当時を思い起こして真剣なまなざしで語る大國氏の言葉を受けて私はこう答えた。

 「ジェット燃料はTJET-A/40という灯油の部類でケロシンと言いますが、マイナス五十度の上空でも凍ってしまわないように、灯油よりも純度が高くて水分の少ないものです。基本は灯油です。両方の主翼内の区切られたタンクに入っていますが、事故機の胴体部分には入っていませんでした。翼が激突で壊れた時、燃料が飛び散ったとしても、この高い木々の上を、たとえばフランス料理のフランベのように炎がたちあがって燃えて爆発するイメージですね。さらに夏山でもありますし、当時の墜落直後の写真を見ても、木の幹は茶色に焦げた程度ですよね。(写真2参照)
 木々の葉っぱが黒くなっていても、幹は炭化していませんし、こげ茶のままです。さらにケロシンは灯油よりも燃焼性がよいので、炭素分子の『すす』の発生量が少ない、つまり黒くならないのです」

写真2
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 「ええ? ジェット燃料って灯油程度? それでは家の火事ぐらいだなあ。私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は白いままだし、骨もそこまで燃えていない。
 なのに、あの事故の時は骨の奥まで炭化するほど燃えていた。まるでガソリンを頭からたくさん被って亡くなった方のような状態だったよ。それを検視担当の先生は二度焼きしたような状況だと表現している」

 二度? 両翼はそれぞれ機体からもがれて、乗客の席とは分離して右と左の沢に落ちている。そこから燃料が飛び散り、二度爆発があったとしても、それは木々を焦がしているが、幹の中までは燃えていない。なぜか地上に落ちた遺体の広範囲にわたって黒々と骨の芯まで燃えているというのだ。

 なぜだろうか。ジェット燃料でもガソリンでも、炭焼き釜でも、すべて圧力のかかった限られた狭い範囲(燃焼室)において、爆発的に燃えて高温になるが、この山の尾根にばらまかれた燃料は、圧力がかかった状態でもなく、狭い範囲でもなく、広範囲の山の木々に散らばり、広い空間に放り出されたのである。

 尾根を伝って流れ落ちることや、夏山の青々としたみずみずしい草木や、大気の中に放り出されたケロシンは、ガス化しやすく、『すす』も出にくい成分だが、霧状に噴霧された時、土や草木の上にある遺体が骨の芯まで黒く炭化するのだろうか。

 唯一、火災の難を逃れた生存者が発見された場所であるスゲノ沢付近の遺体は、まったく異なる方向に後方機の機体(Eコンパートメント)が分離して、この沢の下までかなりの距離を滑落した。尾根の頂点から見えないほど、急な斜面をかなり下まで滑り落ちたため、随分と見えない場所に落ちている。

 それ以外は、主翼の燃料タンクから遠いところに投げ出された遺体も、尾根の頂上付近で激突しところも、遺体が集中した場所が特に黒こげ炭化状態であったという。

 夏の軽服にジェット燃料が付着したとしても、生身の体が骨の芯まで炭化する前にガス化してしまう。そびえ立つ木々の幹や土はそこまで燃えていないのだから。

 大國氏によると、ある炭の固まりのようになった遺体は、固く抱き合った新婚夫婦のものだったという。そのままの状態で炭化したために、耳の穴が三つ確認できるが、二体を分けようとしても、ちょっとさわると炭がポロっと崩れるようになってしまうために、身元を割り出すのに大変ご苦労をされたとのことであった。


 大國氏のように、自分の命さえも投げ出して献身的に身元確認作業をした人々は、骨の奥まで、五百二十名もの故人を想い、遺族を想い、その方々の無念を皮膚感覚で感じ取ったのであった。

 さらに、その時の惨状を黒潭氏はこう語ってくれた。

 「生存者を見つけた日が十三日だったから、あれが一番だね。うれしかったよ。
 その後は、何日かしてから、手伝ったんだけど、一メートル間隔でナイロン袋を持たされて、肉片とか拾ったけど、ウジが湧いて……ハラワタも木にひっかかっていて、とにかくものすごい臭いだったよ。椅子に座った状態でさあ、胴体がベルトで切れてしまって……。
 それで家に帰ってね、焼肉出されたけど、気持ち悪くて食えなかった……噛んでいるだけでグッと飲み込めないんだよ。腹は減ってるけど、本当につらかったよ、何も飲み込めないんだから」

 消防団員として火事も経験していたそうだが、あれほどの炭化した遺体は見たことがないということであった。
 大國氏も身元確認作業で、頭部がめり込んでしまった遺体に自分の手で歯の部分を引き出して、必死に確認したと語る。お二人はまさにあの時、仕事としての責務を超えた状況の中で自分の命さえもなげうって必死に作業をしたのである。



JAL123便事故 関連資料・11

「天空の星たちへ」 青山 透子 著(マガジンランド)
第三部 乱気流の航空業界 未来はどこへ
第三章 上野村へ
*御巣鷹の尾根が語りかけること

/あの日を語る① p380~
http://nekotomo.at.webry.info/201210/article_3.html


JAL123便事故 関連資料・12

「天空の星たちへ」 青山 透子 著
第三部 乱気流の航空業界 未来はどこへ
第三章 上野村へ
*御巣鷹の尾根が語りかけること

/あの日を語る② p387~
http://nekotomo.at.webry.info/201210/article_5.html


JAL123便事故 関連資料・13

「天空の星たちへ」 青山 透子 著
第三部 乱気流の航空業界 未来はどこへ
第三章 上野村へ
*御巣鷹の尾根が語りかけること

/先輩の墓標 p398~
http://nekotomo.at.webry.info/201210/article_6.html


JAL123便事故 関連資料・14

「天空の星たちへ」 青山 透子 著
あとがき 未来への提言 p428~p431

/JAL倒産
http://nekotomo.at.webry.info/201210/article_7.html 


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