JAL123便事故 関連資料・1 《 生存者 落合由美さん証言①》

「墜落の夏」 (吉岡 忍 著:新潮社)より
JAL123便墜落事故生存者 落合由美さん証言① 

日本航空アシスタント・パーサーの落合由美さんは八月十二日の朝を札幌で迎えた。その日の乗務は千歳空港から羽田に飛び、また千歳に飛んで、ふたたび羽田着午後三時の便に乗る、というものだった。一往復半の飛行はスケジュールどおりである。お盆をひかえてはいたが、札幌~東京間の混雑はそれほどでもなく、羽田に定刻に着いて、彼女は勤務をあけた。

落合由美さんは一九五九年一月、大阪生まれ。伊丹空港の近くに育ったせいもあって、スチュワーデスは小さいときからのあこがれだったという。一九七九年二月、短大在学中に日航に入社した。一九八三年四月、アシスタント・パーサーに昇格。この日までのフライトは約三千四百時間を記録している。

スチュワーデスとしての彼女の好きな路線は、東京~大阪間である。乗客からの新聞・雑誌の注文など仕事は多いが、ビジネスマンが多く、きりっとした静かな雰囲気だからだ。

ところで、その二週間前の七月二十八日夕、落合さんは羽田発沖縄行きのジャンボ機に乗務していた。海洋レジャー・シーズンのピーク時を迎え、機内は満席だった。乗員・乗客五百五十八人を乗せた機は、那覇空港滑走路に接近したが、台風七号による強い横風を受けて、着陸態勢からふたたび上昇した。そのとき、右主翼近くの窓際にいた乗客が、アテンダント・シート(客室乗務員用座席)に座っていた落合さんに、「翼の一部が落ちているのを知っているか」と言った。窓から落下するのが見えた、というのだった。

着陸態勢に入っているときなので、乗務員であっても着席していなくてはいけなかったのだが、これはむろん緊急の事態である。落合さんはチーフ・パーサーを通じてコックピットに連絡した。あい前後して管制塔からも連絡があったらしく、航空機関士が急いで客室におりてきた。

乗客の指摘どおり、減速した着陸時の揚力を保つために主翼の下についているフラップの一部が、一・五メートル×三メートルにわたって落下していた。上空旋回ののち、どうやら無事に着陸したが、気づかずにいれば大きな事故につながりかねない出来事であった。これが、スチュワーデスになって七年目に入ったばかりの落合さんが、その間に経験した最大のインシデント(重大な事故にならなかった故障)であった。それから二週間が過ぎていた。

落合さんは翌十三日から六日間の夏季休暇をとり、いったん大阪の自宅にもどったあと、短い旅行でも、と予定していた。あの事故の八ヵ月前、彼女は空港グランドサービス社の社員、落合可之さんとハワイで結婚式をあげ、大阪の実家の近くに暮らすようになっていた。夏バテ気味で体調を崩していた彼女は、羽田に着いたあと、乗務員宿舎に健康保険証をとりにもどった。ふたたび羽田にとって返したのは、夕刻五時である。

大阪便の予約は、一週間ほど前から何度か試みたが、どれも満席だった。しかし、たいてい最終便まで待てば、
空席があるはずだった。羽田で調べると、夕方六時発のJAL123便に空席があった。その便には、千歳からの乗務で一緒だったスチュワーデスの松本亜規子さんも、お客として乗るという。空席待ちの落合さんは、あらかじめ予約してあった彼女の隣席に座りたかったが、そこはもう別の乗客に確保されていた。

落合さんの席は、機首に向かって左側、客室最後部から三列目、窓際と通路側に二席ならんでいるうちの通路側、「56C」である。

十五名の乗務員と五百九名の乗客を乗せた123便は定刻を十二分遅れて、夕刻六時十二分、羽田空港を離陸した。

 *

離陸してすぐ、私は機内に備え付けの女性週刊誌を読んでいました。女性や子供の姿が多く、いつもの大阪便とはちがうな、という印象はありました。私の席の周囲にも、若い女性の姿が目立った。禁煙のサインはすぐに消えたのですが、着席のサインが消えていたかどうか、はっきりしません。

そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パーン」という、かなり大きい音がしました。テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。急減圧がなくても、耳を押さえたくなるような、すごく響く音。前ぶれのような異状は、まったく何も感じませんでした。

音は、私の席のちょっとうしろの天井のあたりからしたように感じましたが、そこだけでなく全体的に広がったように思います。私は思わず天井を見上げました。しかし、振動はまったく感じませんでした。機体も揺れなかった。

お客様からは、「うわっ」という声がした。女の人だと、「きやっ」という、一瞬、喉に詰まったような声。騒がしくなるとか、悲鳴があがるということはありませんでした。耳は、痛くなるほどではなく、ツンと詰まった感じでした。ちょうどエレベーターに乗ったときのような感じ。しかし、それもすぐに直りました。

「パーン」という音とほとんど同時に、酸素マスクが自動的に落ちてきた。ジャンボの場合、席の数プラス・エキストラのマスクが落ちてくるので、私の座っていた「56」の二席には三つありました。それが機内にいっせいに落ちてきたときは、マスクが、わんわんわん、とバウンドするような感じでした。ひっぱると、酸素が流れだして、口もとの袋がふくらむ。酸素が出てこないのもあったけれど、足りないということはありません。

ただちに録音してあるアナウンスで「ただいま緊急降下中。マスクをつけてください」と日本語と英語で流れました。マスクのつけ方は、となり同士教えあって、あんがいスムーズにつけていました。

ベルトについての指示はなかった。お客様はまだベルトをしたままでした。煙草をすぐ消すように、という注意はアナウンスでも口頭でもありませんでしたが、禁煙のランプのサインは自動的についたようでした。あとで気がつくと、離陸してまもなく消えていたはずのサインがついていましたから。

しかし、緊急降下中といっても、体に感じるような急激な降下はありませんでした。

急減圧のとき、酸素マスクが落ちてくることは、もちろん知っていました。急減圧は何かがぶつかったり、衝撃があって、機体が壊れたときに起きると教わっていましたから、そういうことが起きたのだな、と考えたのですが、しかし、何が起きたのか想像もつきませんでした。酸素マスクが落ちてくる光景は、訓練では見ていますが、実際に経験するのは、もちろんこれがはじめてでした。

やはり「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。かなり濃くて、前のほうが、うっすらとしか見えないほどです。私の席のすぐ前は、それほど濃くはなかったのですが、もっと前の座席番号「47」「48」あたりのところが濃かったように見えました。ふと見ると、前方スクリーンの左側通路にスチュワーデスが立っていたのですが、その姿がかすかに、ボヤーッと見えるだけでした。

その霧のようなものは、数秒で消えました。酸素マスクをして、ぱっと見たときには、もうありませんでした。白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。すっと消えた、という感じだったのです。

匂いはありませんでした。こうした白い霧というか、震のようなものが出るのは、急減圧の場合の現象だ、ということも、もちろん訓練のときに教わっていたことでした。

はじめはスチュワーデスもそれぞれ自分の席に座って酸素マスクをしていましたが、しばらくして、お客様のマスクを直したりして、まわっていました。そのときは、エキストラ・マスクをひっぱって、口にあてていました。マスクのチューブは伸ばすと、けっこう伸びます。三列くらいはひとつのマスクをつけたまま、まわっていたようでした。

画像


このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じませんでした。しかし、何が起きたのだろうと、私は酸素マスクをしながら、きょろきょろあたりを見まわしていました。

あとになって、八月十四日に公表されたいわゆる『落合証言』では、客室乗務員席下のベントホール(空気調節孔)が開いた、とありますが、私の座席からはベントホールは見えない位置にあります。ですから、開いたのかどうか、私は確認できませんでした。

きょろきょろしていたとき、私は、トイレの上の横長の壁がほとんど全部、はずれていることに気がつきました。トイレのドアはしまっていましたが、その上の壁がすっぽりはずれて、屋根裏部屋のような感じで見えたのです。壁はちぎれたとか、破壊された、というふうではなく、継ぎ目がはずれたという感じでした。壁のパネルがどこにいったのかはわかりませんでした。

そして、壁のはずれた向こう側に、運動会で使うテントの生地のようなものが、ひらひらしているのが見えまし
た。オフ・ホワイトの厚地の布のようなものです。ぴんと張ったのでもなく、ヒダの多いカーテンのようでもなく、一枚の布を垂らしたような感じでした。これもあとで整備の人に聞いたのですが、裏のほうには、そういう布があるのだそうです。それが破れたというふうではなく、風にあおられたように、ひらひらしていたのです。

そこから機体の外が見えたとか、青空がのぞいた、ということはありませんでした。

もうひとつ、私の頭上の少し前の天井に、整備用の五十センチ四方の長方形の穴があって、蓋がついているのですが、その蓋が私のほうに向いて開いていることに気がつきました。壊れたのではなくて、何かのはずみで開いたという感じです。内部は暗く、何も見えませんでした。ただ天井の荷物入れが下に開くということはありませんでした。

このときにはお客様は全員、酸素マスクをつけていましたから、しゃべったりはしませんでした。酸素マスクをして、呼吸するのに懸命で、とても会話どころではなかったのかもしれません。でも、とても不安そうにして、きょろきょろしたり、窓の外を見たりしていました。赤ちゃんの泣き声がしたかどうか、覚えていません。

いつ点灯したのか気付きませんでしたが、「EXIT」と「非常口」を示す、エマージェンシー・ライトはついていました。座席上の空気穴から空気が出ていたかどうか、記憶にありません。ライトをつけていた人がいたかどうかも覚えていないのです。時間的にはそろそろ暗くなるときですから、つけていてもおかしくはないのですが、気がつきませんでした。

こうしているあいだも、飛行機が降下している感じは、ほとんどありませんでした。ゆっくりと左右に大きく旋回しているような動きがはじまったのは、酸素マスクをして、しばらくしてからです。「パーン」という音から、たぶん十分くらいしてからのように思います。このころになって、酸素マスクをはずしてみても、苦しさは感じませんでした。ただ、ほとんどのお客様がマスクをしていましたが。

ダッチロールという言葉は、知りませんでした。飛行機はあいかわらず旋回をくり返すように左右の傾きをつづけます。振動などは全然ありません。とにかく、くり返し、左右に傾いているという揺れ方がつづきました。急な動きとか、ガタガタと揺れるというのでもなく、スローです。だんだん揺れが激しくなるというのでもありません。

私の席に近い左の窓から見えたのは、まっ白な雲だけでした。かなり厚い雲で、地上は見えませんでした。

お客様は窓の外を眺めたり、なかにはスチュワーデスに「大丈夫か」とたずねる方もいました。機内の様子は、あわただしい雰囲気とかパニックなどということではなく、この段階では、まだ何とかなるんじやないか、という気持ちがあったように思います。ただ、コックピットからの連絡は何もなくて、みんな不安な表情ではあったのです。

そのうちに酸素が出なくなりました。いつだったか、私がフライトをしていたとき、お客様から、酸素マスクは何分くらいもつのか、とたずねられたことがありました。全員が吸った場合、十八分くらい、と計算したことがあります。そのくらいの時間が経過したのかもしれません。でも、ほとんどのお客様は、そのままマスクをしていました。

ちょうどそのころになって、私のうしろのL5(最後部左側)ドア受持ちのスチュワーデスが、まわりのお客様に「椅子の下にある救命胴衣を取りだして、つけてください」という指示を出しました。その指示がどこからきたのか、わかりません。ふだんのコックピットからの連絡はチーフ・パーサーを通じて各スチュワーデスに伝えられたり、急な場合は、乗務員席の電話が全部コックピットと同時につながって受けることができる「オール・コール」でくるのですが、今度の場合は、それはありませんでした。ライフ・ベストをつけるようにという指示は、機内アナウンスではなく、スチュワーデスの口頭で行なっていました。まずスチュワーデスが着用して、このようにつけるんです、と教えながら、座席をまわることになっています。今度も、そうしていました。

前のほうでも、いっせいにベストの着用がはじまっている様子が見えました。スチュワーデスは口頭で、座席ポケットのなかにある『安全のしおり』を見て、救命胴衣をつけてください、と言いながらまわりはじめました。私はすぐに座席下から救命胴衣をひっぱりだして首からかぶりました。

私は羽田にもどれればいいな、と感じていました。しかし、まだ雲の上で、高度も高いし、ちょっと無理なんじやないかな、とだんだん不安になってきました。

しかし、ライフ・ベストが座席の下にあることがわからないお客様や、わかっても、ひっぱって取りだすことがわからないお客様も少なくありませんでした。私の近くにも、ベストの場所がわからなくて、取り乱している若い女性たちがいました。そのときになって私は、席を立って、お客様のお手伝いをはじめたのです。お客様はこのときはじめて、座席ポケットのなかの『安全のしおり』を取りだしました。

私が席を立ったとき、となりの窓際の席にいた男性のKさんが「スチュワーデスの方ですか」と、声をかけました。私は「はい、そうです」と答えて、Kさんが救命胴衣をつけるのをお手伝いしました。とても冷静な方でした。ご自分のをつけ終わると、座席から手を伸ばして、前後のお客様の着用を手伝ってくださったのです。

私は通路に出て、L5のスチュワーデスの受持ちのお客様のお手伝いをして歩きました。彼女が私の席よりうしろのほうをまわり、私は、前のほう二列分くらいの左右のお客様を指示してまわりました。

しかし、このころになると、機体の揺れは、じっと立っていられないほどでした。激しい揺れ、というのではなくて、前と同じように、左右に傾く揺れなのですが、その角度が大きくなって、座席につかまって二、三歩、歩いて、お客様の座席の下のベストをひっぱって、ちょっと座って、また二、三歩という感じでした。まっすぐ歩いて、あたりを見てまわる、ということはもうできません。

救命胴衣は飛行機が着水して、外に脱出してからふくらませることになっています。機内でふくらませてしまうと、体を前に曲げて、膝のあいだに頭を入れる安全姿勢がとれないからです。しかし、私の席の周囲では、ふくらませてしまったお客様が四、五人いました。男の人ばかりです。

こういう場面になると、女の人のほうが冷静なようです。泣きそうになっているのは男性でした。これはとても印象深かったことです。ベストをふくらませてしまった若い男性が「どうすればいいんだ」と弱気そうな顔でおっしゃるんですが、ふくらませてしまったのは仕方ないですから、そのままでいいですと、安全姿勢をとっていただきました。ひとりの方がふくらませると、そのとなりのお客様もふくらませてしまう。他のスチュワーデスも私も、それに私のとなりのKさんも、「ふくらませないで!」と叫びました。

機内にはまだいくらかの空席がありました。ひとりだけポツンと座っている人は、不安になったんだと思います。救命胴衣をつけているあいだに、席を詰めて、固まるようになりました。

私は何も聞かれませんでしたが、制服を着ていたスチュワーデスはお客様からいろいろ質問されていました。「どうなるんだ」「大丈夫か」「助かるのか」。聞いていたのは男の方ばかりでした。家族連れの女性は、男の方が一緒だったせいでしょうか、そういう場合でも、男の人がいろいろ質問していました。

スチュワーデスはお客様に不安感を与えないように、できるだけ冷静に行動していました。いろいろ聞かれても、「絶対大丈夫です。私たちはそれなりの訓練も受けています。絶対大丈夫です」と答えていました。そのせいもあって、客室内がパニックに陥るようなことがなかったのだと思います。ただ、笑顔はもうなく、彼女たちの顔も緊張していたのですが。赤ちゃん用の小さいライフ・ベストが上の棚にあるのですが、このときにはもう、それを取りだす余裕はなく、大人用のベストをつけたと思います。

子供の声が聞こえました。「おかあさーん」という声。大きくはなかったのですが、短い叫びのような声でした。大人のお客様は叫んだり、悲鳴をあげたりすることはありませんでした。声も出なかったのかもしれません。不安と緊張の機内でした。

全員が救命胴衣をつけ終わるまでに五、六分かかりました。つけ終わった方は、となりの方を手伝ったりしていました。

救命胴衣をつけているあいだに、スチュワーデスの声でアナウンスがあったのです。正確には覚えていませんが、「急に着陸することが考えられますから」というような内容です。それと、「管制塔からの交信はキャッチできています」とも言っていました。私の想像では、二階席のアシスタント・パーサーが操縦室に入って、様子を聞いてきたのではないかと思います。落着いた声でした。

揺れはいっそう大きくなりました。もう立っていることはできないほどです。救命胴衣をつけ終わってすぐに、ほとんどいっせいに安全姿勢をとりました。そのときには、眼鏡をはずしたり、先のとがったものは座席ポケットにしまったりとか、上着があれば、衝撃の際の保護になるように着用してください、と指示するのですが、そんな時間的余裕はありませんでした。

私は「56C」にもどりました。L5のスチュワーデスは通路をはさんでふたつうしろの空席に座りました。安全姿勢は、頭を下げ、膝のなかに入れて、足首をつかむんです。うしろのスチュワーデスも私も、席に座って大声で何度も言いました。「足首をつかんで、頭を膝のなかに入れる!」「全身緊張!」。全身を緊張させるのは、衝撃にそなえるためです。こういうときは、「……してください」とは言いません。

お相撲さんや、妊娠してお腹の大きい女性の場合、腰をかがめるのは苦痛ですから、逆に背中を伸ばして、脚でしっかり床を踏み、椅子の背に上体を押しつける安全姿勢のとり方があるのですが、このときはそういう姿勢をしているお客様はいませんでした。

安全姿勢をとる直前、私はとなりのKさんに言いました。「緊急着陸して、私がもし動けなかったら、うしろのL5のドアを開けて、お客様を逃がしてやってください」と。Kさんは「任せておいてください」と、とても冷静な声で言いました。Kさんと言葉をかわしたのは、これが最後です。

そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近さでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。

頭を下げながら機内をちらっと見ると、たくさん垂れている酸素マスクのチューブの多くが、ピーンと下にひっぱられているのが見えました。マスクをつけたまま安全姿勢をとったお客様が大半だったのかもしれません。

安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺さぶられるのを感じました。船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。しかし、上下の振動はありませんでした。前の席のほうで、いくつくらいかはっきりしませんが女の子が「キヤーッ」と叫ぶのが聞こえました。聞こえたのは、それだけです。

そして、すぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。髪の毛が逆立つくらいの感じです。頭の両わきの髪がうしろにひっぱられるような感じ。ほんとうはそんなふうにはなっていないのでしょうが、そうなっていると感じるほどでした。

怖いです。怖かったです。思いださせないでください、もう。思いだしたくない恐怖です。お客様はもう声も出なかった。私も、これはもう死ぬ、と思った。まっすぐ落ちていきました。振動はありません。窓なんか、とても見る余裕はありません。いつぶつかるかわからない。安全姿勢をとりつづけるしかない。汗をかいたかどうかも思いだせません。座席下の荷物が飛んだりしたかどうか、わかりません。体全体がかたく緊張して、きっと目をつむっていたんだと思います。「パーン」から墜落まで、三十二分間だったといいます。でも、長い時間でした。何時間にも感じる長さです。羽田にもどります、というアナウンスがないかな、とずっと待っていました。そういうアナウンスがあれば、操縦できるのだし、空港との連絡もとれているのだから、もう大丈夫だって。でも、なかった。

衝撃がありました。




JAL123便事故 関連資料・1 《 生存者 落合由美さん証言①》
http://nekotomo.at.webry.info/201209/article_2.html

JAL123便事故 関連資料・2 《 生存者 落合由美さん証言②》
http://nekotomo.at.webry.info/201209/article_3.html


この記事へのコメント

この記事へのトラックバック