尖閣、竹島、北方領土問題はアメリカの意図的な仕掛け

「戦後史の正体」を読んで・2
中国との尖閣諸島、韓国との竹島、ロシアとの北方領土、それぞれ領土をめぐるわが国との問題は、アメリカの深謀遠慮に基づいた日本支配を含む巧妙な世界戦略の一環である。隣国同士仲違いさせて支配するという、嘗ての大英帝国のやり方を踏襲しているに過ぎない。

日本と周辺国の関係を見ても、ロシアとは北方領土、韓国とは竹島、中国とは尖閣諸島と、みごとなくらいどの国とも解決困難な問題がのこされていますが、これは偶然ではないのです。どんな国にも国境をめぐる対立や紛争はあります。しかし日本ほど、その解決に向けて政府が動けない国はありません。それは米国に意図的にしくまれている面があるからです。


アメリカ系戦争主義者とそのスポンサーであるKAS(カス:金融悪徳資本家)のドル覇権延命のための切り札は、戦争の惹起しか残されていない。一つは中東カードであり、もう一つは極東カードである。「戦後史の正体」から、極東におけるその火種が、意図的に仕掛けられ周到に準備されてきたことがうかがい知れる。
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「戦後史の正体」(創元社) 孫崎 享

鳩山(一郎)政権の位置付け 168

 では、長くつづいた吉田時代を終わらせ、外務大臣兼副総理に重光葵を起用して対米自立路線をめざした鳩山内閣は、いったいなにを残したのでしょうか。
 
 組閣した翌年の一九五五年二月の総選挙で、鳩山一郎を党首とする日本民主党は第一党になります。新政権はまず「憲法改正」と「自主外交」をとなえました。なかでも重視したのが日ソ国交回復です。

 では、そんな鳩山一郎の登場を米国側はどのように見ていたか。再軍備をめぐって、鳩山・重光に「ワシントン政府が期待をかけていた」と池田勇人が書いていたことはすでに見ました。

 しかし日ソ国交回復路線をめぐって、アリソン駐日大使は次のようにのべていました。
 「新政権は米国の利益を無視し、共産圏に譲歩ばかりしている。われわれが日米関係の現状に不満だと分からせる必要がある」

 春名幹男著『秘密のファイル――CIAの対日工作』新潮社)も次のように書いています。
「アイゼンハワー政権、なかでもCIAは、東西冷戦の最前線日本で吉田から鳩山に政権が移行したことに憂慮していた」

 そうしたなか、鳩山政権はソ連との国交回復に邁進しました。ここでいちばん重要になってくる問題が、みなさんもよく耳にされる北方領土問題です。そこには現在、一般の日本人がほとんど知らない重要な事実があります。

 おそらくみなさんは、「アメリカは沖縄を返してくれたのに、ロシア(ソ連)は北方領土を返してくれない。やっぱり嫌な国だ」と思っているかもしれません。でもここで驚くようなことを教えましょう。実は北方領土の北側の二島、国後島、択捉島というのは、第二次大戦末期に米国がソ連に対し、対日戦争に参加してもらう代償としてあたえた領土なのです。しかもその米国が冷戦の勃発後、今度は国後、択捉のソ道への引き渡しに反対し、わざと「北方領土問題」を解決できないようにしているのです。理由は日本とソ連のあいだに紛争のタネをのこし、友好関係を作らせないためにです。驚きましたか?

 「信じられない!」という人のために、その経緯を「ポツダム宣言」と「サンフランシスコ講和条約」という、日本が受け入れたふたつの基本文書にさかのぼって整理してみましょう。

(1)まず一九四五年八月一五日、日本はポツダム宣言を受諾しました。このポツダム宣言では日本の領土について次のようにのべています。

「日本国の主権は、本州、北海道、九州および四国ならびにわれらの決定する諸小島に局限されるべし」

 つまり日本の領土は「本州、北海道、九州、四国」と「連合国の決定する小島」に限定されるというわけです。ですから問題は、「北方領土」が「連合国の決定する小島」にふくまれるかどうかということになりますが、こうした問いを立てた時点で、すでにひとつのトリックにひっかかっているのです。というのは、そもそもこの「北方領土」という概念はあとになってできたもので、その中身は「北海道の一部である歯舞島、色丹島」と「千島列島の南端である国後島、択捉島」に分かれます。そして後者に関してはすでにのべたとおり、第二次大戦が終わる以前から、米国が「ソ連に引き渡す」と明言しているのです。

 その経緯を知るためには、第二次大戦時の米ソの協力関係について見てみる必要があります。米国は戦争末期、ソ連に対して対日戦に参加するよう強く求めました。日本の敗戦が濃厚になってから、ルーズベルト大統領の最大の関心は「いかに少ない米国人犠牲者で、日本の無条件降伏を引きだせるか」という点に移っていたからです。それは一九四五年四月にルーズベルトが死去したあと、大統領となったトルーマンも同じでした。

「日本本土に侵入すれば、日本軍の大部隊をアジアと中国大陸に釘づけにできた場合でも、少なくとも五〇万人の米国人の死傷を見こまなければならない。したがってソ連の対日参戦はわれわれにとって非常に重大なことであった」(『トルーマン回顧録』)

 ルーズベルト大統領はテヘラン会議(一九四三年一一月)でソ連の対日参戦を求め、ヤルタ会議(一九四五年二月)で「千島列島がソヴィエト連邦に引き渡されること」という内容をふくむヤルタ協定を結びました。トルーマン大統領も第二次大戦終結時に、ソ連が千島列島を自分のものとすることを次のように認めています。「一般指令N01を、千島すべてをソ連軍極東総司令官に明けわたす領域にふくむよう修正することに同意します」(トルーマン発スターリン宛通信、八月一八日受信)

(2)一九五一年九月八日のサンフランシスコ講和条約では、「日本国は千島列島に対するすべての権利、請求権を放棄する」とされています。

 吉田首相は調印直前の九月七日、「択捉、国後両島」が「千島南部」であると認めています。そして調印後の一〇月一九日には、西村条約局長が衆議院の国会答弁で、「条約にある千島の範囲については、北千島、南千島両方をふくむと考えております」と答えています。

 こうした前提のもと、一九五六年の日ソ交渉で重光外相は、日ソ国交回復を成功させるためには「択捉、国後の放棄もやむをえない」と判断します。先ほどのべたように、北海道の一部である歯舞、色丹については譲らず、「千島列島」に含まれる択捉、国後についてはあきらめることにしたわけです。後者は講和条約で放棄しているのですから、妥当な判断といえます。

 ところがそうした日本政府の方針に対し、なんと国務長官になっていたダレスが重光外相に圧力をかけ、「もし日本が国後、択捉をソ連にわたしたら、沖縄をアメリカの領土とする」と猛烈におどしてきたのです。さらに谷駐米大使に対しても、国後、択捉をソ連にわたすのであれば「サンフランシスコ講和条約の締約国は、条約によってあたえられた一切の権利を留保するだろう」と激しい圧力をかけています。なぜ、ダレスがそこまで日本に圧力をかける必要があったのか。それは日本とソ連のあいだに、解決不能な紛争のタネをうめこむためでした。

「千島列島に対するソ連の主張に異議をとなえることで、米国政府は日本とソ連の対立をかきたてようとした。実際、すでに一九四七年にケナンとそのスタッフは領土問題を呼び起こすことの利点について論議している。うまくいけば、北方領土についての争いが何年間も日ソ関係を険悪なものにするかもしれないと彼らは考えた」(シャラー 同前)

 こうした解釈を聞いて、みなさんは「信じられない」と思われるでしょうか。あるいは「アメリカがそんなひどいことをするはずがない」と思われるかもしれません。しかし、これは国際政治の世界では常識なのです。英国などは植民地から撤退するときは、多くの場合、あとに紛争の火種をのこしていきます。かつての植民地が団結して反英国勢力になると困るからです。

 インドから撤退するときは、パキスタンとのあいだにカシミール紛争を残しましたし、アラブ首長国連邦から引きあげるときは、複数の首長国どうしがいがみあうように、飛び地の領土を作り、領土の境界をわざと複雑に設定しています。そもそもインド撤退にあたってパキスタンが分離独立となり、さらにその領土について東に飛び地(東パキスタン=現バングラデシュ)が作られたのも、私にはそうしたイギリスの伝統的な手法のひとつに思えます。

 日本と周辺国の関係を見ても、ロシアとは北方領土、韓国とは竹島、中国とは尖閣諸島と、みごとなくらいどの国とも解決困難な問題がのこされていますが、これは偶然ではないのです。どんな国にも国境をめぐる対立や紛争はあります。しかし日本ほど、その解決に向けて政府が動けない国はありません。それは米国に意図的にしくまれている面があるからです。

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