歴代首相を対米追随派と自主派に分類

「戦後史の正体」を読んで・1
孫崎 享氏の「戦後史の正体」を読んだ。全体の印象として、大変読みやすく日本の戦後史が分かりやすい言葉で丁寧に書かれていると思う。
アメリカGHQの占領時から、対米追随派(とにかく、いうことを聞いていれば大丈夫と米国に従い、その信頼を得ることで国益を最大化しようとした人たち)と、自主派(どんなに困難でも、日本のゆずれない国益については主張し、積極的に現状を変えようと米国に働きかけた人たち)という観点から歴代首相を分類し、それを基本にしながら戦後史を紐解いているので、興味深く読ませてもらった。
その歴代首相の分類が「あとがき」に簡潔に記述されているので、まず、こちらから転載しておく。


「戦後史の正体」 孫崎 享 著 (創元社) 

あとがき 365

 最後までお読みいただき、ありがとうどざいました。最後は駆け足になりましたが、私が外交の現場で体験した事実をもとに、日本の戦後七〇年間をふり返ってみました。「高校生にも読めるように」との依頼でしたので、できるだけわかりやすく書いたつもりですが、内容に関してはいっさい手加減せず、自分のもっている知識をすべてつめこんだつもりです。

 よく歴史とは、国家や社会、人間についての実験室のようなものだといわれます。私たちは人間の関わる分野について、ビーカーやフラスコを振って実験することはできません。その代わりに歴史の世界に入りこみ、さまざまな試行錯誤を体験する。そのことで今日の課題を知り、明日にそなえることができるのです。

 私自身、四〇年近くを外交官としてすどしましたが、本当の外交をしようと恩ったら、必ず歴史を勉強する必要が出てきます。相手国とのあいだに横たわる問題を共同で解決し、友好関係を維持する。または敵対関係のなかでなんとか妥協点を見いだし、最悪の事態を回避する。どちらの場合も、本当に必要なものは情報です。そのなかでもいちばん基礎となる本質的な情報をあたえてくれるのが、歴史の研究なのです。

『戦後史の正体』を書いたことで、私が確認できた重要なポイントは次の三点です。

①米国の対日政策は、あくまでも米国の利益のためにあります。日本の利益とつねに一致しているわけではありません。

②米国の対日政策は、米国の環境の変化によって大きく変わります。
代表的なのは占領時代です。当初、米国は日本を二度と戦争のできない国にすることを目的にきわめて懲罰的な政策をとっていました。しかし冷戦が起こると、日本を共産主義に対する防波堤にすることを考え、優遇し始めます。このとき対日政策は一八○度変化しました。そして多くの日本人は気づいていませんが、米国の対日政策はいまから二〇年前、ふたたび一八〇度変化したのです。

③米国は自分の利益にもとづいて日本にさまざまな要求をします。それに立ち向かうのは大変なことです。しかし冷戦期のように、とにかく米国のいうことを聞いていれば大丈夫だという時代はすでに二〇年前に終わっています。どんなに困難でも、日本のゆずれない国益については主張し、米国の理解を得る必要があります。

 もうひとつ、今回、日本の戦後史を勉強し直して、うれしい発見がありました。私が思ったよりもけるかに多く、米国に対して堂々と物をいった首租たち、政治家たち、官僚たちがいたことです。これはうれしい驚きでした。ただそうした首相や政治家たちは、数は多いのですが、在任期間が短く、学者からもマスコミからも大きくとりあげられることがないのです。

 ここで戦後の首相たちを「自主」と「対米追随」という観点から分類してみたいと思います。

(1)自主派(積極的に現状を変えようと米国に働きかけた人たち)

o重光葵(降伏直後の軍事植民地化政策を阻止。のちに米軍完全撤退案を米国に示す)

o石橋湛山(敗戦直後、膨大な米軍駐留経費の削減を求める)

o芦田均(外相時代、米国に対し米軍の「有事駐留」案を示す)

o岸信介(従属色の強い旧安保条約を改定。さらに米軍基地の治外法権を認めた行政協定の見直しも行なおうと試みる)

o鳩山一郎(対米自主路線をとなえ、米国が敵視するソ連との国交回復を実現)

o佐藤栄作(ベトナム裁争で沖縄の米軍基地の価値が高まるなか、沖縄返還を実現)

o田中角栄(米国の強い反対を押しきって、日中国交回復を実現)

o福田赳夫(ASEAN外交を推進するなど、米国一辺倒でない外交を展開)

o宮沢喜一 (基本的に対米協調。しかしクリントン大統領に対しては対等以上の態度で交渉)

o細川護煕(「樋ロレポート」の作成を指示。「日米同盟」よりも「多角的安全保障」を重視)

o鳩山由紀夫(「普天間基地の県外、国外への移設」と「東アジア共同体」を提唱)

(2)対米追随派(米国に従い、その信頼を得ることで国益を最大化しようとした人たち)

o吉田茂(安全保障と経済の両面で、きわめて強い対米従属路線をとる)

o池田勇人(安保闘争以降、安全保障問題を封印し、経済に特化)

o三木武夫(米国が嫌った田中角栄を裁判で有罪にするため、特別な行動をとる)

o中曽根康弘(安全保障面では「日本は不沈空母になる」発言、経済面ではプラザ合意で円高基調の土台をつくる)

o小泉純一郎(安全保障では自衛隊の海外派遣、経済では郵政民営化など制度の木固化推進)
他、海部俊樹、小渕恵三、森喜朗、安倍晋三、麻生太郎、菅直人、野田仲彦

(3)一部抵抗派(特定の問題について米国からの圧力に抵抗した人たち)

o鈴木善幸(米国からの防衛費増額要請を拒否。米国との軍事協力は行なわないと明言)

o竹下登(金融面では協力。その一方、安全保障面では米国が世界的規模で自衛隊が協力するよう要請してきた
ことに抵抗)

o橋本龍太郎(長野五輪中の米軍の武力行使自粛を要求。「米国債を大幅に売りたい」発言)

o福田康夫(アフガンヘの陸上自衛隊の大規模派遣要求を拒否。破綻寸前の米金融会社ヘの巨額融資に消極姿勢)

 こうした分類で見ると、長期政権となった吉田茂、池田勇人、中曽根康弘、小泉純一郎の各首相は、いずれも「対米追随」のグループに属しています。

 年代的に見ると一九九〇年代以降、積極的な自主派はほとんどいません。細川と鳩山という、自民党から政権を奪った首相がふたりいるだけです。しかもどちらも九ヵ月弱という、きわめて短命な政権に終わりました。それ以前の歴史を見ても、いわゆる「自主派」と見られる首相は、佐藤首相をのぞいて、だいたい米国の関与によって短期政権に終わっています。

ここで指摘しておきたいのは、占領期以降、日本社会のなかに「自主派」の首相を引きずりおろし、「対米追随派」にすげかえるためののシステムが埋めこまれているということです。

 ひとつは検察です。なかでも特捜部はしばしば政治家を起訴してきました。この特捜部の前身はGHQの指揮下にあった「隠匿退蔵物資事件捜査部」です。終戦直後、日本人が隠した「お宝」を探しだしGHQに差しだすのがその役目でした。したがって検察特捜部は、創設当初からどの組織よりも米国と密接な関係を維持してきました。

 次に報道です。米国は政治を運営するなかでマスコミの役割を強く認識しています。占領期から今日まで、米国は日本の大手マスコミのなかに、「米国と特別な関係をもつ人びと」を育成してきました。占領時代はしかたがなかったかもしれません。しかし今日もまだ続いているのは異常です。さらには外務省、防衛省、財務省、大学などのなかにも、「米国と特別な関係をもつ人びと」が育成されています。

 そうしたシステムのなか、自主派の政治家を追い落とすパターンもいくつかに分類できます。

①占領軍の指示により公職追放する
鳩山一郎、石橋湛山

②検察が起訴し、マスコミが大々的に報道し、政治生命を絶つ
芦田均、田中角栄、少し異色ですが小沢一郎

③政権内の重要人物を切ることを求め、結果的に内閣を崩壊させる
片山哲、細川護煕

④米国が支持していないことを強調し、党内の反対勢力の勢いを強める
鳩山由紀夫、福田康夫

⑤選挙で敗北
宮沢喜一

⑥大衆を動員し、政権を崩壊させる
岸信介

 この六つのパターンのいずれにおいても、大手マスコミが連動して、それぞれの首相に反対する強力なキャンペーンを行なっています。今回、戦後七〇年の歴史をふり返ってみて、改めてマスコミが日本の政変に深く関与している事実を知りました。

 このように米国は、好ましくないと思う日本の首相を、いくつかのシステムを駆使して排除することができます。難しいことではありません。たとえば米国の大統領が日本の首相となかなか会ってくれず、そのことを大手メディアが問題にすれば、それだけで政権はもちません。それが日本の現実なのです。

 しかし都合の悪い首相を排除したあと、その次の首相を米国が自由に決められるかといえば、そうはいかないのが歴史のおもしろいところです。やはり一国の指導者になるには、その人物の人間性や力量も必要ですし、なによりその指導者を支える社会的背景や勢力が必要です。そうしたさまざまな条件を総合的にコントロールすることは、不確定要素が多いので非常に困難なのです。これは日本以外の国も同じで、米国はよく自国にとって都合の悪い政権を転覆させますが、そのあとに生まれたのがもっと反米的な政権だったということはよくあります。私がかつて大使として赴任したイランや、サダム・フセイン後のイラクが、その代表的な例といえるでしょう。

 ではそうした国際政治の現実のなかで、日本はどう生きていけばよいのか。

 本書で紹介した石橋湛山の言葉に大きなヒントがあります。終戦直後、ふくれあがるGHQの駐留経費を削減しようとした石橋大蔵大臣は、すぐに公職追放されてしまいます。そのとき彼はこういっているのです。

 「あとにつづいて出てくる大蔵大臣が、おれと同じような態度をとることだな。そうするとまた追放になるかもしれないが、まあ、それを二、三年つづければ、GHQ当局もいつかは反省するだろう」

 そうです。先にのべたとおり、米国は本気になればいつでも日本の政権をつぶすことができます。しかしその次に成立するのも、基本的には日本の民意を反映した政権です。ですからその次の政権と首相が、そこであきらめたり、おじけづいたり、みずからの権力欲や功名心を優先させたりせず、またがんばればいいのです。自分を選んでくれた国民のために。

 それを現実に実行したのが、カナダの首相たちでした。まずカナダのピアソン首相が米国内で北爆反対の演説をして、翌日ジョンソン大統領に文字どおりつるしあげられました。カナダは自国の10倍以上の国力をもつ米国と隣りあっており、米国からつねに強い圧力をかけられています。しかしカナダはピアソンの退任後も、歴代の首相たちが「米国に対し、毅然と物をいう伝統」をもちつづけ、二〇〇三年には「国連安全保障理事会の承認がない」というまったくの正論によって、イラク戦争への参加を拒否しました。国民も七割がその決断を支持しました。

 いま、カナダ外務省の建物はピアソン・ビルとよばれています。カナダ最大の国際空港も、トロント・ピアソン国際空港と名づけられています。カナダ人は、ピアソンがジョンソン大統領につるしあげられた事実を知らずに、外務省をピアソン・ビルとよんだり、自国で最大の飛行場をピアソン空港と呼んでいるわけではありません。そこには、「米国と対峙していくことはきびしいことだ。しかし、それでもわれわれは毅然として生きていこう。ときに不幸な目にあうかもしれない。でもそれをみんなで乗りこえていこう」

 という強いメッセージがこめられているのです。

この記事へのコメント

菅直人
2017年11月14日 19:22
佐藤栄作は 吉田茂同様対米追随派であると考えられる。
1971年、ベトナム戦争の最中に沖縄返還協定を結び、翌年返還実現を遂げたのは事実である。しかし、沖縄返還は日米安保体制堅持を条件に合意されたものであり、また、嘉手納基地などの米軍基地が残されたことから日本は米軍の前線基地といえる。いわば、沖縄はアジア太平洋におけるアメリカの『キー ストーン』なのである。
一方、それ以前に遡ると、1965年日韓基本条約を締結していることが窺える。この条約は、ベトナム戦争を背景としたアメリカの圧力で、米韓日3カ国による反共体制強化を目指すものである。
また、佐藤栄作は「吉田学校」と呼ばれた、吉田茂に重用された官僚出身者である。
これらの理由により 佐藤栄作は対米追随派に分類すべきである。

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