JAL123便事故 関連資料・4

「隠された証言」 藤田 日出男 著(新潮社)より
第1章 墜落現場②

置いておかれた生存者


多くの人の協力で救出された4名の生存者たちも、ヘリコプターがなかなか来なかったために、現地の急造のヘリポート付近で、2時間近くも待たされた。私自身も当時現地にいた複数の人から、怒りの声を間いた。8月15日付、地元の上毛新聞にも次のような記事が掲載されている。

「午前11時、黒澤さんらは慶子ちゃんを担架で尾根の頂上に運び上げた。しかし、その後、約2時間、自衛隊のヘリが到着せず『早く連れて行ってくれないと、死んでしまうのでは』と気をもんだ。午後1時過ぎ、全員が自衛隊のヘリで病院に収容された」

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この記事のほかにも、私は現地の猟友会のH氏が「必死に連んだのに現地に2時間近くも置いていたことに、隊長に食って掛かった」との話を聞いた。



4名は遺体の山の中で16時間も頑張っていた重傷者である。それを2時間も放置したとは、いったいどう言うことなのだろうか。

私の手元には「上野消防団活動記録」という分刻みで残されたメモがある。

それによれば、

*11時28分 生存者4人確認(吉崎博子、吉崎美紀子、川上慶子、落合由美)とニュースが流れる。

*11時32分 消防本部次長より上野村事故対策室へ患者を藤岡の病院へ収容するよう連絡の電話が入る。

*12時03分 生存者4人、ヘリコプターで藤岡市立第1小学校へ着陸予定。多野総合病院へ収容するが、救急車が目印になるため、第1小学校で待機する件、藤岡消防署に連絡。

*12時47分 運輸大臣と消防庁長官が総合グランドに13時11分頃到着するとの連絡が入る。

*12時53分 墜落現場との無線交信不能。

*13時21分 警察無線より、生存者全員の収容がまだ済んでいない模様との情報が入る。

*13時28分 生存者を多野総合病院へ収容する件は、警察が直接連絡するので藤岡消防署の救急車はいつでも対応できる状態で第1小学校で待機をするよう再度連絡。

*13時30分 墜落現場より生存者4名を乗せたヘリコプターが、仮治療を受けるため、上野村のヘリポートに向け出発。

*13待57分 東京消防庁のヘリコプターで2名、自衛隊機で2名を乗せ藤岡へ出発したとの連絡が入る。

*14時08分 藤岡第1小学校にヘリコプターが到着との連絡が入る。

以上の経緯が記録されている。生存者を現場から下ろすために使われるべきヘリコプターが、運輸大臣と消防庁長官の移動に使われた可能性が大きい。当時、そんな声が現場では囁かれた。ヘリコプターは遺体の運搬に使用されていたため、汚れがひどく腐臭もはなはだしかった。きれいな機体は限られていたのだ。群馬県警は、生存者などより大臣に不快な思いをさせたくなかったのかも知れない。


【関連記事:生存者の救出が遅れた理由とされる記述②↓】
http://nekotomo.at.webry.info/201209/article_16.html#seizonsha2

17年目の慰霊登山からの帰り連、事故後の出来事を振り返って記憶の整理を始めた。

山道を下りながら、17年前に墜落現場から帰るときのことを思い出した。帰り道はお盆のUターンラッシュにあたって、道路は込んでいた。現場に入った3人とも、おし黙っていた。話などしたくなかった。私は普段、肩など凝ったためしが無いが、このときだけは何か背中に重いものを感じた。仲間に話すと、520人の命の重さだと言われた。そうかもしれないと思った。

遺された遺書、初めての証言

事故から4日たった16日、多野総合病院に収容された落合由美さんが、病院職員を通じて初めて報道陣のインタビューに答えた。テープに録音された音声だけの回答だった。

―いまの体調や気分は?
「気分は、いいです。腰が、ちょっと痛い……」

―異常が起きたときに機内で絶叫や悲鳴はありましたか。
「はい、ありました。子どもたちは『お母さん』と言っていましたし、パニックでしたので『キャー』という悲鳴ばかりです」

―ダッチロールになったときの様子は?
「みんな、ベルトをしめ、着席してスチュワーデスの指示に従っていました」

―救命胴衣をつけるよう乗客に指示があったとき、乗客の様子は? パニック状態になっていましたか。
「はい。自分の救命胴衣がどこにあるのか分からない方が多くて、まず、探すことと、つけ方も『安全のしおり』というパンフレットを見ながら、落ち着いて着けてはいらっしゃいました。けれども、なかなか……。自分で着け終わったら、まわりの人を手伝ってあげるという感じでした」

―乗客はその時、言うことを聞いてくれましたか。
「みんなスチュワーデスの指示に従っていました」

―乗客からスチュワーデスに何か求めたことは?
「救命胴衣がどこにあるのか、とか、酸素が出てない、というのがありまして、酸素はマスクを強く引っ張ってくれ、とスチュワーデスから言われていまして。救命胴衣はちゃんと自分の座席の下にあるからということを、スチュワーデスも近くの席まで行けませんですけど、遠くから叫んでいました」

―急降下の時、飛ばされたり、手荷物が吹き飛んだりしましたか。
「衝撃防止姿勢で自分の足首をつかんで、頭をひざの中に入れていましたから。下を向いていたので、まわりの状況はよく分からないんですけど、みんなその格好でいたようです」

―パーサーの非常事態の放送はどういうものでしたか。
「パーサーからはなかったんですが、酸素マスクが出て来た時に、テープにあらかじめ入っている『ただいま緊急降下中。マスクをつけて下さい。ベルトを締めて下さい』というアナウンスが自動的に流れるようになっているんですけど、それが流れまして、スチュワーデスから、しばらくして『救命胴衣をつけて下さい』ということと、『酸素が出てない人は思いっ切りマスクを引っ張って下さい』ということと、『管制塔からの交信は受け取れていますのでご安心下さい』というアナウンスがありました」

―『墜落した時、どんな気持ちでしたか。
「助からなければいけないと思いましたけど、体が動かなくてどうしていいか分からないという状態で……」

―なぜ自分が助かったと思いますか。
「分かりません。ウーン」

―墜落後、眠り込むまで、どんな気持ちでしたか。
「目の中に砂が入って来るので息苦しくなるから、自分の顔をちょっとでもそういうことがない方向に動かすのに精いっぱいで……。あとはのどかかわいて。ヘリコプターの音がして、ずっと手を振っていたのですけど。気が付いてもらえなかったのか、ここまで来ることができないのか、と思いました」

―翌朝、救急隊員に起こされた時の気持ちはどうでしたか。
「『大丈夫だぞう』というふうに叫んで下さったんですけど、もう体が痛くて、本当にこのままどうなるんだろうか、まだはっきり自分では分からない状態でした」


その3日後の8月19日、川上慶子さんのインタビューが国立高崎病院の看護婦長を通じて行われた。生存者4入の中ではただ1人テレビカメラが病室に入り、笑顔が現れる瞬間もあった。



―よく眠れた? 今朝のごはんはおいしかった?
「はい、眠れた。(食事は)おいしかった」

―飛行機のことを話してくれる?
「北海道から東京、東京から大阪に飛行機で行き、叔母の所に寄ることになっていた」

―飛行機の中で音がした時、何か起こった?
「左後ろの壁、上の天井の方が『バリッ』といって穴があいた。一緒に白い煙みたいなものが前から入ってきた」

―その時、何か考えましたか。
「怖かった。(しばらく考えた後で)何も考えなかった」

―シートベルトはしていたの?
「したままだった」

―落ちて最初に気づいた時の様子は。
「真っ暗で、何も見えなかった」

―お父さん(英治さん)、お母さん(和子さん)、咲子ちゃん(妹)のことは覚えている。
「咲子とお父ちゃんは大丈夫だったみたい。お母ちゃんは最初から声が聞こえなかった」

―明るくなって見たのはなに?
「木とか太陽が差し込んできた。それに、寝転がったみたいになっていたから、目の前にネジのような大きなものが見えた」

―ほかに何も見えなかった?
「隣に何かタオルみたいなものが見えて、お父ちゃんが冷たくなっていた。左手が届いたので触ったの」

―助けられた時は何を思った?
「お父ちゃんたち、大丈夫だったかなあとか」

―ヘリコプターでつりあげられる時の気持ちは?
「出される時ね、咲子がベルトでしばられているところが見えたから、大丈夫かなーと思った」

―自分で助かったと思った時はいつだった?
「朝(十三日)だいぶしてから」

―今、いちばんうれしいことは、なに?
「知らない人やクラスの友だちから励ましの手紙や、いろんな物を宅急便とかでもらったこと」

―ほかに、何かいいたいことがありますか。
「いろいろ励ましてくれたので、くじけずに頑張りたいと思います」


8月24日付「日刊スポーツ」紙には、川上さんが付き添いの関係者に語った証言が、掲載された。

(墜落後)気がつくと真っ暗で油臭いにおいがした。子供の泣き声などがザワザワ聞こえていた。

手や足を動かしてみると足の下には空間があってブラブラ動かせた。自分の体中を触ってみても、みんな付いており、「生きている」と思った。みんなはどうなったのかと思い、叫ぶと父と咲子が返事した。母は答えなかった。

「手や足を動かしてみ」と言われて足をバタバタさせると、靴が脱げそうになり左手を左足の方に伸ばした。足首がヌルヌルしていて「血だな」と思った。

父は私の右わきから下半身に乗っていた。手足は動いても体は動かない。「助けて」と父に言うと、「お父ちゃんも挟まれて身動きできない。助けてやりたいけど、どうしようもないわなあ」と言われた。

父が動くと、おなかが死ぬほど苦しかった。「お父ちゃん、お父ちゃん、苦しい、苦しい。すごく痛い」と言っているうち、父はそのまま動かなくなった。

咲子に聞くと「お母ちゃんは冷たい。死んでるわ。お父ちゃんも死んでいる」と答えた。左手をのばして触ってみるとやはり冷たかった。

その後、咲子と二人でしゃべった。咲子は「苦しい、苦しい」と言った。「足で踏んでみたら楽になるかもしらんからやってみ」と言うと妹の足の音がした。

妹はそれでも「苦しい、苦しい。みんな助けに来てくれるのかなあ」と言うので「大丈夫、大丈夫。お父ちゃんもお母ちゃんも死んでしまったみたいだけど、島根に帰ったら、おばあちゃんとお兄ちゃんと四人で頑張って暮らそう」と答えた。

突然、咲子がゲボゲボと吐くような声を出し、しゃべらなくなった。

一人になってしまったと思い、その後、朝まで意識が消えたり戻ったりした。

ヘリコプターのパタパタという音で目が覚めた。目の前を覆う部品の間から二本の木が見え太陽の光が差し込んできた。「生きているんやな」と思った。何とか外に出て見つけてもらおうと思い努力した。

父のシャツのタオル地が見え、腹の上に乗っている父を左手で押し下げた。そのとき、父のだと思って触った手を、上の方にたどると自分の右手だと分かった。(右手神経のマヒ症状)

顔の上の部品の一部をつかんで横からはい出そうとしたが、二度三度するうち部品がずり落ち、顔とのすき間が狭くなった。そこで今度は両足を当てがい押し上げようと踏んばった。

「中学になってから慶子は根気がなくなった」と、日ごろから言われていた言葉を思い出し、頑張った。

人の気配がして「生きている人は手や足を動かして」と声がした。足をバタバタさせると人が近寄って来た。ボサボサの頭、ショートパンツで勘違いされたらしく、「男の子だ!」と言われた。


8月21日、多野総合病院で、吉崎博子さんのテープによる証言が公表された。実兄の原靖雄さんに話をした録音である。

すでに、親類へ話した内容のいくつかは漏れ伝えられていた。

夫の俊三さん(38歳・死亡)が、機内で「眼鏡をかけたままではけがをする」と気遣ってくれたこと、墜落後、うとうとすると長女の美紀子ちゃんが「ママ眠っちゃだめだよ。死んでしまうよ」と励ましてくれた、などである。

―機内の様子は?
「私は眠っていたが、ドーンという音と同時に白っぼい煙と酸素マスクが出てきた」

―壊れたところは見なかったか。
「全然見ない。白い煙だけで見えなかった」

―乗客の様子は?
「酸素を吸うので精いっぱいだった。(酸素マスクは)数は十分だったと思うけど、われ先に取り合っていた」

―子どもの様子は?
「ゆかり(次女=死亡)は気分が悪く、マスクをしながら、『あげそう』といった。ゴミ袋をあてると、少しもどして、まっ青で気を失った」

―墜落の時の気持ちは?
「ジェットコースターに乗ったような感じだった」

―グルグル回ったりしたか。
「回ったりしない。景色が次々、変わっていった。充芳(長男=死亡)はしっかりマスクをあてていた。お父さんが『子どもがいるから、しっかりしろ。うろたえるな』と言った」

―墜落の様子は?
「何回かに分けて落ちていった。これが結構長かった。耳鳴りがしてよく聞こえなかったが、機内では赤ちゃんの泣き声がした」

―機内の放送は?
「『救命胴衣をして頭を両足の中に入れて』と放送があったが、美紀(長女美紀子ちゃん=生存)は救命胴衣をつけられなかった」

―墜落の時、何を考えたか。
「絶対に無事に着くと思った。どこかが故障したぐらいに思った。スチュワーデスは『大丈夫、大丈夫ですから』と言っていた。不時着する覚悟でいた」

―落ちた時の様子は?
「美紀の声だけ聞こえた。それも夢かもしれない。メガネをはずしていたので、見えなかった」

―今の気持ちは?
「元気になりましたから、頑張って生きます」


いくつかの遺書も遺された。航空機事故としては異例と言える。
河口博次さん(52歳)は、妻・慶子さん、長女・真理子さん、長男・津慶さん、次女・知代子さんに、手帳7ページ分の遺書を書いている。

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マリコ
津慶
知代子
どうか仲良く がんばって
ママをたすけて下さい
パパは本当に残念だ
きっと肋かるまい
原因は分らない
今五分たった
もう飛行機には乗りたくない
どうか神様 たすけて下さい
きのうみんなと 食事したのは 最后とは
何か機内で 爆発したような形で 煙が出て 降下しだした
どこえどうなるのか
津慶しっかり た(の)んだぞ
ママ こんな事になるとは残念だ
さようなら
子供達の事をよろしくたのむ
今六時半だ
飛行機は まわりながら 急速に降下中だ
本当に今迄は 幸せな人生だった と感謝している


谷口正勝さん(40歳)は、妻・真知子さん宛てに機内の紙袋に認(したた)めている。

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まち子
子供よろしく
大阪みのお 谷口正勝 6 30


松本圭市さん(29歳)は、妻・知子さんと長男・哲也ちゃんに宛てて、ノートに書き付けた。

PM6:30
知子 哲也(両親を)をたのむ 圭市
突然 ドカンといってマスクがおりた
ドカンといて降下はじめる
しっかり生きろ
哲也 立派になれ




JAL123便事故 関連資料・3

「隠された証言」 藤田 日出男 著(新潮社)
第1章 墜落現場①

生存者発見
http://nekotomo.at.webry.info/201209/article_8.html


JAL123便事故 関連資料・4

「隠された証言」 藤田 日出男 著
第1章 墜落現場②

置いておかれた生存者
http://nekotomo.at.webry.info/201209/article_9.html


JAL123便事故 関連資料・5

「隠された証言」 藤田 日出男 著
第1章 墜落現場③

遅れた救難と素早い事情聴取
http://nekotomo.at.webry.info/201209/article_10.html


JAL123便事故 関連資料・6

「隠された証言」 藤田 日出男 著
第1章 墜落現場④
http://nekotomo.at.webry.info/201209/article_14.html


JAL123便事故 関連資料・10

「隠された証言」藤田 日出男 著
第9章 事故原因

事故原因は何か
http://nekotomo.at.webry.info/201210/article_1.html


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