途上の片隅にて

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<<   作成日時 : 2012/09/21 17:19   >>

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「隠された証言」 藤田 日出男 著(新潮社)より
第1章 墜落現場B

遅れた救難と素早い事情聴取


生存者発見から病院搬入までかなりの時間を要したことも当時の私の記録に残されている。

私のメモには「11時生存者発見、12時仮設ヘリポートヘ、ヘリポートで1時間30分以上待たされ14時15分ごろやっと病院へ搬入」と記録されている。これは現地から帰って10日ほどした頃、現地の関係者と新聞記者、運輸省関係者からの情報で記録したものであった。やっと救出された4名の重傷者をヘリポートで1時間半も持たせだのはどうしてなのか? 生存者は、骨折、ショック症状、頭部の外傷など救急治療を必要とする状態であった。

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翌1986年の4月25日、この事故に関する聴聞会(現在は意見聴取会)が開かれた。その数日後、私の家の郵便受けに、茶色の大型の封筒が二つ折りにして無理やり突っ込まれていた。封筒の3分の1ほどしか郵便受けに入らず、風が吹けば落ちそうな状態だった。

差出人の名前は無かった。不審に思いながら、かなり重い封筒の封を聞いてみると、数十ぺージはあると思われる書類のコピーが入っている。それ以外は、何も入っていなかった。

内容は、あの事故の4名の生存者に対する事故調査官と思われる人のインタビューの記録であった。調査官の名前は、記載の無いものもあるが、防衛庁航空自衛隊の小原甲一郎医官が質問しているものがほとんどであった。その内容を同席した運輸省の事故調査官が筆記したと思われる。

驚かされたのは、落合さんに対する最初のインタビューが行われた時刻である。このメモの冒頭には、「昭和60年8月13日15時頃」と記載されている。生存者の病院への搬入は、14時15分頃と記憶していた。

生存者を発見したのは10時50分ごろだったので、病院に搬入されるまで、3時間余りを要したことになる。もし、この文書が本当に政府の内部資料のコピーだとすれば、やっと病院に収容されるや、そのわずか45分後には事情聴取が行われていたのである。

あまりにも遅い病院への輸送、あまりにもはやい事情聴取。この時間の差に私は疑問を持って再度関係者や当時の資料を調べてみた。多少、時間のずれている記録は見られたが大筋では一致していた。当時、救助活動の中心であった上野消防団と、藤岡消防団の関係者の話や記録でも同じであった。

この救助の遅れと事情聴取のすばやさが、その時、強い印象となっていたため、今でもはっきりと私の記憶に残っている。

現場にいたある消防団員は、「最初は医師・看護婦は現地に送り込まれていなかった。生存者が発見されてから急にあわてた。生存者に対する準備ができていなかったような気がする」と話していた。

はじめから生存者がいないと決めてかかっていたのではないかと私も感じた。

地上の現場から、空の現場に目を転じてみよう。

日航123使が東京管制部のレーダー上から姿を消したのは、8月12日の18時57分、羽田から方位308度(北をO度として時計回りに360度で表示した方位、西北西に近い)60海里(約110km)付近、そのときの高度9700フィート、速度は300ノット(時速556km)と発表されている。この位置は墜落直前の位置で、実際の墜落地点の約7キロ北北東に当たる。

この情報が東京救難調整本部(略称 東京RCC)に伝えられたのは18時59分であった。そのわずか2分後、運輸省側からの出動要請も無い段階で、19時1分に航空自衛隊の百里基地から、松永貞昭空将の指示でF14ファントム2機が発進した。民間航空機がレーダーから消えた場合に、自衛隊がこれほどすばやい反応を示した前例は聞いたことが無かった。1966年英国BOACのボーイング707型機が富士山麓で空中分解して墜落した事故のときも陸上自衛隊員が大量に動員されたが、今回は航空自衛隊の反応ははやく大きかった。

これと平行して、防衛庁作戦室では、航空幕僚副長、防衛部長も参加して対策会議が聞かれていた。また陸上自衛隊でも作戦室で、防衛部長の出席のもとでこの事故に関する打ち合わせが行われた記録がある。

防衛庁がとったこの事故へのきわめてすばやく、大掛かりな初期対応にはそれなりの理由があったことは確かである。

この日、相模湾上では海自のミサイル自衛艦「まつゆき」の試運転が行われた。123便はその真上を飛行した。「まつゆき」が試射したミサイルが、123便を直撃した可能性に海幕は恐れおののいていたという「怪文書」が出まわっていた。

防衛庁から発表される墜落地点に関する情報は、翌日になっても正確な位置は発表されなかった。しかし実際には自衛隊のヘリが正確に現場上空に到達していた。朝日新聞社のヘリコプター「ちよどり」が現場上空にいた時、その下には2機の自衛隊ヘリが存在していたことが確認されている。12日21時すぎのことだ。

現地に最初に入ったのは一般人

墜落地点に関する惰報を、当時現地で捜索に協力した猟友会や消防関係の人たちからの話と朝日新聞が出版した記録資料などをもとに、時間を追って整理すると次のようなことに気がついた。

山岳地帯で、墜落現場をいち早く発見するには、空からの特にヘリコプターからの位置情報に頼るしかない。この事故では墜落地点は人家のほとんどない山の中であり、発生してから間もなく日が暮れているために、地上からの捜索は時間を要すると思われた。しかし、捜索隊が入った13日午前9時前に、大学生をまじえた4人の一般人が墜落現場に入って下山してくる途中で、捜索隊と遭遇している。これは事故機の機長の遺族と共に現地の人から確認している。この4人以外にも、親子連れの3人が朝早く下山してきていることを村人は確認している。「たまげた!」と言う母親の言葉を億えていると私に話してくれた。地上からの捜索が適切に行われていれば、早い段階で現場に到達しえたことは間違いない。前述した個人のグループが、現場に捜索隊より先に到連していたのである。

大学生が到着できたというのに、何故、救助隊が夜のうちに現場に入れなかったのか。この事故で、レーダーから機影が消えた地点は、そこが直ちに墜落地点とは断定できない。飛行コースが山の陰になることも考えられ、飛行高度が低くなるとレーダーには捉えられなくなるためである。しかし普通はその周辺と考えられ、今回の結果を見れば明らかな通り、やはりかなり近くであった。レーダーから消えた時点まで飛行していた方向を加味して考えれば、捜索すべき範囲はおのずと限られてくる。

したがって、機影がレーダーから消えた地点を中心とする空からの捜索情報、特にヘリコプターからの情報に期待がかけられることになる。

飛行機、ヘリコプターからの墜落地点に関する情報は少なくなかった。

航空機による位置情報のうち私が知り得たものを、時系列に並べ、まとめてみた。

8月12日

@19時15分 米軍輸送機C130型機より、墜落機のものと見られる煙を発見。位置は横田タカンから305度、34海里(およそ北西の方角、63km)、事故現場のやや北寄り、諏訪山に近い。

A19時21分 航空自衛隊のF14ファントムによる計測。横田タカンから300度、32海里で火災発見。この位置は三国峠の東側で埼玉県内。

B20持42分 航空自衛隊百里基地所属のV107型ヘリコプターが現地上空に到着。位置は横田タカンから、299度、35.5海里と報告。この位置は、ほぼ正確に墜落地点と一致している。

C20持50分 @の米軍輸送機に誘導され、厚木基地から飛来した救助用ヘリが墜落地点上空に到着。現場上空は煙が多く、少し離れたところにロープで降下しようとしたところ、横田基地司令部より、中止命令が出され基地に引き返した。

D21時10分 朝日新聞社のヘリコプター「ちよどり」が現場上空に到着、幅2キロにわたって広がる火災を確認。位置は、羽田VOR・DMEの304度、60海里であった。この通報された位置も正確に墜落地点と一致。現場上空には他にもヘリコプターが飛行しており、数機の飛行機、ヘリの衝突防止灯を確認している。

E23時17分 長野県の信濃新聞が、自衛隊のヘリに位置を確認したところ「群馬県の小倉山と品塩山を結ぶ線らしい」との情報を得た。墜落地点よりかなり北側。

F23持35分 朝日新聞のヘリ「ちよどり」は御座山(おぐらさん)北斜面が墜落現場でないことを確認し、再び墜落現場上空に到着し、21時10分の計測が正確であったことを確認した。「ちよどり」のさらに下には自衛隊と見られるヘリが飛行していたのが確認された。

8月13日

G4時39分 航空自衛隊ヘリ、V107型機は、明るくなってから墜落地点を確認。位置は扇平山の北lkmの地点と報告。この位置は誤っている。扇平山は頂上のさらに北には2つほどピークが見えるところで、上空からは頂上が確認しにくい山ではある。墜落地点より南に3kmずれていた。

H5時00分 航空自衛隊ヘリ、HU‐1が墜落地点は三国山の北西約2kmと報告。この位置はほぼ墜落地点と一致。

I5時10分 陸上自衛隊OH‐6が機体を確認。位置は「御座山の東5km」と報告。実際の墜落地点から北西に5kmも離れていた。明るくなっており、朝日新聞のヘリが夜間に正確に確認しているにもかかわらず、大きく外れている。

ここで出て来る「タカン」は主として軍事用に使用されているものである。飛行機の計器に無線局からの方位と距離を示す設備で、横田タカンは横田にある局を指す。横田から、方位を磁石の北を0度として、時計回りに360度の数字で示す。東は90度、南は180度、西が270度になる。距離は一般にはあまり馴染みのない、「海里」で示される。すでに書いたように、1海里は1852mである。VOR・DMEも機能的にはほぼ同じもので、方位と距離を計測することが出来る。こちらは主として民間機で使用されている。

なぜか事故直後からしばらくの間、タカンによる位置情報は不正確だと言う誤解が広がっていた。多少の誤差はあるが実際にはそれほど大幅なものではない。タカンによる情報も実際に地図上に書き込んでみると、長野県の御座山のほうまで誤差があるわけではない。ほぼ実際の墜落地点の位置と一致している。軍用のヘリコプターであれば、日航123便の機影を最後まで追跡していた、嶺岡山の捜索レーダーによる位置の測定と併用すればかなり正確に位置は測定出来たはずである。

このような航空機からの位置情報は、地図の上に横田からの方位と距離を記入(プロット)して、先ず地図上の場所を確認する。これをやらなければ、救助に行くにも、地名や道がわからない。

私も、すぐに地図上にプロットしてみた。具体的に作業手順を書くと、@の場合だと、横田タカンの位置から、コンパスで半径34海里(63km)の円弧を書き、横田タカンからの方位305度の線との交点が通報された位置になる。

このリストを見ると、横田からの距離は、一番遠いものでも35.5海里(66km)で、一番近いものが、32海里(59km)である。常識的にはこの範囲内のどこかに墜落地点があると考えるものだろう。

ところが、御座山は横田から40海里(74km)も離れている。飛行機からの情報を見れば誰もが疑問を持つはずである。

ラジオの情報だけしか聞いていなかった私でも、墜落地点が仮に長野県側ならば、千曲川に近いほうで扇平山付近までで、南北相木村と言うことはあり得ないと13日の朝には気がついた。

少しでも飛行機の運航に関わったことがある者ならば、群馬側か埼玉よりの地点と考える。

航空機からの情報を地図上に記入してみれば、後に触れる出所不明の「ぶどう峠」という110番通報とか、防衛庁の御座山北斜面、いや南斜面という情報には影響されず発見が早まったと思える。

事故当時、墜落地点に関する防衛庁情報は、夜が明けて明るくなってからも混乱していた。防衛庁は墜落から35分ほど過ぎた19時30分ごろ、米軍からかなり正確な墜落地点の情報を入手していたといわれている。

Dに示したように朝日新聞社のヘリが、墜落から2時間あまり経過した21時10分には、正確に墜落地点を確認し写真撮影もしていた。

これと同じ頃、自衛隊のヘリも現地上空を飛行していた。これは朝日のヘリコプターに搭乗していた記者2名が目撃している。

実はこの20分前には、米軍の救助ヘリがロープを使用して救助作業を開始しようとしていたことが、後に明らかにされる。少なくとも事故から2時間あまりの現地では救助を開始できる状態にあった。ところが米軍による救助は「日本側が、現地に向かっているから」という理由で、中止命令が出されてしまったのである。

生存者の話では、地上では救助を待ちわびて、「早く来て!」と必死の叫び声を上げていた生存者がいたというのに、救助は中止された。

地上からの墜落現場に聞する情報は、なぜか出所不明のものだけが信用され、正確に墜落地点を示していた航空機情報は、参考にされなかった。地上からの正確な情報と見られる、埼玉県警と長野県警のパトカーからの目撃情報は無視されていた。

むしろ、この情報の20分後から、急に御座山情報が強調された。日航も、航空局長もこの御座山北斜面情報に急に引きずられ、それによって、それまで御座山説に否定的だった、朝日新聞の情報までが長野県側に引き戻されていた。



JAL123便事故 関連資料・3

「隠された証言」 藤田 日出男 著(新潮社)
第1章 墜落現場@

生存者発見
http://nekotomo.at.webry.info/201209/article_8.html


JAL123便事故 関連資料・4

「隠された証言」 藤田 日出男 著
第1章 墜落現場A

置いておかれた生存者
http://nekotomo.at.webry.info/201209/article_9.html


JAL123便事故 関連資料・5

「隠された証言」 藤田 日出男 著
第1章 墜落現場B

遅れた救難と素早い事情聴取
http://nekotomo.at.webry.info/201209/article_10.html


JAL123便事故 関連資料・6

「隠された証言」 藤田 日出男 著
第1章 墜落現場C
http://nekotomo.at.webry.info/201209/article_14.html


JAL123便事故 関連資料・10

「隠された証言」藤田 日出男 著
第9章 事故原因

事故原因は何か
http://nekotomo.at.webry.info/201210/article_1.html


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