日本の司法は官僚化し、裁判所・裁判官は権力の僕(しもべ)に成り果てた

「司法官僚-裁判所の権力者たち-」 という本を読んだ。
まず、本の中にあった〔最高裁判所事務総局の組織図〕を下記に転載する。

画像


組織図の中では、最高裁判所裁判官会議というのが頂点に位置している。しかし、著者の新藤宗幸氏は、この存在が全く機能せず形骸化しており、実質的に組織全体を支配しているのは事務総局であるとしている。特に人事の権限を事務総局内の人事局が握っていて、裁判官を地方へ飛ばすのも、大都市圏へ栄転させるのも思いのままだという。しかも誰を昇給させるか報酬の決定権をも掌握している。そして、この事務総局全体を統括するのが事務総長だ。

問題なのは、事務総局の幹部や局付けとなった幹部候補生は、いずれも裁判官の身分のまま事務総局の職についていることである。定年まで地方周りで終わる者もいれば、出世コースである事務総局へ入り、課長・局長・総長へと昇進を目指していく中で、当然、最高裁長官へと登りつめる者もいる。多くの判事たちは前者であり、後者はごく限られた一部エリートである。

このような状態だから、最高裁は勿論のこと高裁にしても地裁にしても、裁判官の判決が権力寄りなるのも頷ける。司法試験に合格し研修を経て裁判官になりたての頃は、正義感に燃えて「国民のために悪を裁く」という意欲を抱いていたことだろう。しかし、組織としての司法があまりにも官僚化されていることを思い知らされる。そして、徐々に「国民の目線」で思考・判断することは端に追いやられ、自分の出世の妨げにならないよう気を使うようになり、上ばかりを見て権力におもねるひらめ裁判官に成り果てていくのだろう。

最高裁事務総局は、行政側の法務省官僚及び検察と一体化しており、基本的に政治権力の側に立って職務を執行している機関であるといえる。但し、今の日本の政治的な権力は、米国(実質的には強欲戦争覇権主義者と金融悪徳資本家)に握られている。検察組織は、歴史的経緯から見てGHQの時代からもともと米国の支配下に置かれていたのであり、現在もその関係に揺るぎはない。法務省は、内閣総理大臣を頂点とする行政権力の一部となっているので、政治権力に迎合しながらの職務の遂行を常としている。よって、法務省と一体化している裁判所も、当然のことながら、時の政治権力、そして、その背後で支配する米国の顔色を窺いながら、その意向に沿うように判決文を読み上げるだけの組織に成り下がっていると断じて良い。

【当ブログの関連記事】
◇「悲しいかな、日本の司法は奥深くまで腐敗している 」
http://nekotomo.at.webry.info/201109/article_11.html
【関連ブログ】
◇「本性剥き出し米官業利権複合体による不当判決」
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-29b8.html

司法官僚―裁判所の権力者たち (岩波新書)
岩波書店
新藤 宗幸


Amazonアソシエイト by 司法官僚―裁判所の権力者たち (岩波新書) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

ナイス

この記事へのコメント

ギース
2011年12月02日 18:19
財界・行政・司法・マスゴミこいつ等全ては、
庶民(一般愚民)を人と思っていないし眼中に 無い。国賊の非国民の売国奴の人でなしだから
抹殺する他に手立てなし!

この記事へのトラックバック