若者の 命還らぬ 教育現場   

「新採教師はなぜ追いつめられたのか」(一部転載)

Ⅰ還らないいのち――新採教師三人の死

二人の新採教師自殺事件に即して考える
■弁護士 川人 博(談)

1、新宿区立小学校Aさんのケース

◎「単級学校」で十分なサポートもなく

■川人 はじめに新宿区の事件です。Aさんということにさせていただいて。
 Aさんが2006年に都内の女子大を卒業し、新宿区立の小学校に着任されて、わずか2カ月弱なんですね。2カ月でもう自殺を企図されて命を絶ったというのはとても悲惨なケースであろうと思います。
 彼女はですね、私もずいぶんいろんな方から彼女のことについて聞いたんですが、多くの友人からも慕われていたし、学生時代にボランティアをやっていた学校の校長さんにもお会いして、亡くなった後だからそういう言い方をするということではなく、口をそろえて誰もがほめるような人でした。大学のゼミの先生も「明るくやさしい人柄といい、仕事内容の的確さといい、責任感の強さといい――」と言われるような人でした。
 じやあ彼女に何が起こったのかということなんですが、この学校の場合には、新任教師に一般にかかる圧力に加えて、いろんな問題が重なったと思うんですね。
 まず各学年が1学級だけという「単級学校」だったということです。1学年で担任が1人。彼女は2年の担任でした。そして指導担当の先生が1年生の担任で、そのクラスが38人と多く、4、5月は自分のクラスづくりにかかりっきり。指導担当の先生がそういうことで、サポート態勢が不十分でした。
 また、その春に多数の人事異動があって、常勤10人の半分が異動で移っているんですね。校長の指導方針に意見を言うような、校長から見て扱いにくい人を異動させるということがあったわけです。それでクラス担任6人中残ったのは2人だけで、多くの教師がこの学校や地域に馴染みがない。2005年度に研究指定を受けていたのに、そういう大量の人事異動があったわけです。
 それで、具体的な職務がどのように大変だったかということに関しては、校務分掌は学習指導部、生活指導部、給食事務部、渉外部、クラブ活動などがあって、新任教師には大変だったでしょうが、小規模学校で他の教師に比べて特段に多いということではなかったようです。
 先ほど申し上げましたように、単級学校であって、しかも新任であった。2年生クラスの前年の担任も異動して引き継ぎも不十分、新任へのサポート態勢がぜい弱だったということで、初めてのクラス担任という職務のストレスも労働時間も、この間に相当のものだったと思われます。

◎攻撃的な親の言動に苦しむ

■川人 彼女はお姉さんと同居していたんですね。お姉さんは横浜のほうの中学校の先生で、教師としてはちょっと先輩です。で、妹のことを気にかけていたんだけれども、お姉さん自身も忙しいし、十分対応できなかったとおっしやって。
 お姉さんが言うには、自分が寝るときにもずっと自宅のリビングでパソコンを打っていたと。学校内の労働時間や土・日の出動に加えて、就寝は午前1時頃で、朝6時半には自宅を出る。睡眠不足が続き、この間の超過労働時間は1カ月100時間を超えていたと推定されるような状況だったんですね。
 そして、彼女のこんな悲劇的な死亡というのは、直接的には保護者の彼女に対するかかわり方というのが大きな影響を与えたと言えます。とくにある保護者の方がですね、連絡帳に小さい字で、いろいろなことを書いてきて。たとえば4月初めの、自分の名前を習った漢字だけを使って書きなさいという指導にたいする疑問から始まって、当初はまだそれでも一応、常識の範囲なんですが、後半は書く言葉自体がひどくなる。
 特に5月22日の連絡帳ですが、「子どもと向き合っていないのではないか、保護者を見下しているのではないか、結婚や子育てをしていないので経験が乏しいのではないか」などと書かれています。大卒で赴任してきて「結婚もしていないので経験が乏しいのではないか」と言われても困ります。
 彼女がこのことについて非常に参っていたというのは、同居していたお姉さんが詳しく話してくれました。「親から言われちゃった」とずいぶん悩んでいたと。大学時代の友人にたいしても「連絡帳にびっしり書いている保護者がいる。何を書いて返せばいいのかわからない」と悩みを打ち明けています。その友人によれば、Aさんがコメントを付けて返したところ、それを消しゴムで消して「もういいです」と書いてあったこともあったとのことでした。
 それに関連して、この問題に対する、校長のサポートのあり方がどうだったのかということが非常に重要になります。

◎校長、副校長の言葉にさらに追いつめられて

■川人 校長の対応の仕方ですが、私の考えで端的に言えば「毅然とするところは毅然とする」、保護者にたいする対応の仕方として、新任教員を正しい意味で保護するというか防衛して、「保護者の行き過ぎた言動にたいしては言うべきことは言う」と、こういうあり方が必要だと思うんです。
 本件では、Aさんが指導担当の教師に五月二二日の連絡帳のことを報告していますが、その教師は、「保護者を見下すなんて、そんな教師じゃない」と正当な意見を述べました。ところが校長は、「今日のことは呆然とした」と、その指導担当教師への文書に書いているんです。校長がやったのは、「あなた(Aさん)から保護者に電話をして謝るように」という指導でした。何を謝るのかわからないんだけれど、とにかく謝るようにと。
 その結果、Aさんは、この日の対応でかなり深刻な心理的負荷を受けた。これが22日の出来事で、5月27日に1回目の自殺未遂をするんですよ。
 その間にもいろいろなことが立て続けに重なって。先はどの連絡帳の保護者の方ではないのですが、別の保護者4人の方が彼女のクラスの授業参観を行い、それが終わった後に校長室に行って、「子どもがもめても注意しない」とか、いろいろ意見を言っています。
 また25日には、6月にある「子ども会のチケット」を配布することになっていたんですが、彼女がたまたま配布するのを忘れたんですね。で、副校長が、「放課後、そのチケットを各家庭に持って行くように」と指示して、彼女が一軒一軒「忘れました」と言って持って行った。
 私は、その必要があるのか、翌日配布すれば済むことなのにと思います。
 お姉さんの前で初めて涙を流して。あるいは26日の夜に学生時代の友人に、「親から、あの先生は信用できないということを言われた」「校長に、親が信頼できないと言っていると、伝えられた」「自分かふがいない」と話して。それで27日に自殺未遂があってですね。三楽病院(東京都教職員組合互助会)に行って診ていただいて、「病名 抑うつ状態(適応障害の疑い)」という診断で、薬ももらったんですけれども、結局、助からなかった。31日にほんのわずか家族の眼が離れた隙に、お風呂で自殺をしてしまったんです。翌日死亡が確認されました。

◎労災として認められないという地公災の結論に不服申し立て中

■川人 その後、八月に入って家族が気がついた書き残されたノートには 《無責任な私をお許しください。全て私の無能さが原因です。家族のみんなごめんなさい。》とありました。
 死亡後しばらくして、ご両親と相談をして、これは彼女だけの問題ではない、「公務による過重な労働、過度のストレスによって、精神疾患に罹患して、その結果、自殺企図に至ったもの」ということで、できる限りの状況調査をしまして、公務災害の申請をしたわけです。
 遺族代理人として、その年の秋に記者会見をしました。それで、現時点(2009年7月)でどういう手続きになっているかと申しますと、地方公務員災害補償基金(地公災)の東京都支部が「公務外」という判断を出して、労災として認められなかったんですね。
 しかし、端的に言いますと、はじめに地公災東京支部で委嘱した専門の精神科医師も「公務上災害」という意見で、支部として「労働災害と認める」という方向の意見だったんです。なのに、本部でものすごく長期間引っ張られまして、それで本部のほうがその結論をひっくり返すことが可能なような誘導質問をしてですね、本部からの「回答」、それを受けて支部の結論が「公務外」となりました。ですから記録開示を求めて出てきた「一件記録」を見ますと、明らかに本部に上げるまでは支部関係者も「認めるべきだ」という意見だったのですが、それをひっくり返した、すべて本部の意向ですね(注)。
 この「公務外」決定が2008年9月で、すぐに「この決定に不服である」ということで、東京都の支部審査会に不服申し立てをしまして、現在はその審理過程です。
 同時に、情報開示請求をしまして、先はどのような経過が明らかになりましたので、先日の審査会で、「支部が本部に従属しなければならないというのはおかしい」と意見を言いました。逆転して公務上と認めるという可能性もあるかもしれませんが、これはわからないです。いまはそういう段階です。

〔注〕地公災には各都道府県ごとに支部がある。本来これら各支部で自律的に公務上外の判断をすべきであるが、現状では、各支部から「本部」に「一件記録」が上げられ、これに対して「本部」が指導して各支部に結論を押しつけている。
 なお、ここで言う「本部」とは通称で、地公災の事務局をこのように呼んでいる。



新任教諭自殺は公務災害 「職場の支援不十分」処分覆す
asahi.com 2010年3月5日記事より

 東京都新宿区立小学校に勤務していた新任女性教諭(当時23)の自殺をめぐり、地方公務員災害補償基金都支部審査会が、自殺を公務外の災害とした都支部長の処分を覆し、公務災害と認める裁決をしたことが5日分かった。処分に不服申し立てをしていた遺族は「長く苦しい時間だった。裁決に感謝したい」と話した。

 2006年4月に2年生の担任として着任した教諭は、2カ月後、自宅で自殺した。直前に「抑うつ状態」との診断を受けており、「無責任な私をお許し下さい。すべて私の無能さが原因です」とする遺書が見つかった。遺族の公務災害申請を受けた08年9月の都支部の処分では、職場の支援があったにもかかわらず短期間で発症したとして、「個体的要因が相対的に有力な原因」と判断し、公務上の災害と認めなかった。

 今回の裁決では、学年が1クラスで、相談できる同僚がいなかったことや、担任6人のうち4人が異動で替わったばかりで相談しづらい状況だったことをあげ、支援が「不十分」だったと指摘。

 さらに授業や学級経営に不安を抱えていたうえに、保護者から「結婚も子育ても未経験」などの指摘を受けたり、校長から「親が『あの先生は信頼できない』と言っている」と伝えられたりしたことも重なり、「強度の精神的ストレスが重複または重積する状態」により発症、自殺に至ったと認定した。

 5日に会見した父親は「感謝している。遺書にあったように、娘が無責任でも無能でもなかったことを示してくれた。このような悲劇を繰り返さないよう、若い先生を支えるシステムをつくってほしい」と訴えた。

 代理人の川人博弁護士は「職務が原因とみられる教職員の自殺でも、遺族が公務災害の申請をするケースはまれ。こうした裁決が出たことで、今後は申請の動きが広がるのではないか」と話した。






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